植物と手を結ぶ
2010年 09月 14日
きょうは、大人数のまえでお話をしなければならなかったので
わくわくしていました。
大好きなことをお話しできることは喜びです。
ただ、昨日からぼーっとしていました。
そんなおり、
部長がフラワーリメディを飲む?
といったので、リメディの必要はかんじないけれども
植物のエネルギーと手を結びその声を共に伝えよう言う気がしました。
なにか、自我で、これとこれが必要だ!という感じじゃない、
そんなムードを部長と私は感じていて、むしろ
植物のエナジーのほうから声をかけてくれた感じでした。
「それじゃ、ホリーとロックウオター(植物じゃない!?)と花のリメディを」
といったら。
「ホリーとワイルドローズとレッドチェストナット」になりました。
なんかそちらのほうがしっくり来ました。
バッチフラワーリメディはそれぞれレメディに意味がありますが、
意味でなく、
意志に近い形で今日は受け取ったので、
しっくりという感じでした。
本来、人の気持ちに対処する植物のエナジーでは無いのでしょう。
それぞれのリメディが持つ意味はどちらかというと関係ないみたいです。
少なくとも、ぼくにとっては。
バッチ博士がきっと大切にしたものは
対処ではなく、語らいから導かれる
本質そのもの。ぼくらにも
その声なき声にみみを澄ましてといっているようです。
だからバッチさんの轍はバッチさんがつくり
私の轍はそれをヒントに私がつくるのです。
パトリシア・デービスというアロマテラピストが
アロマや、フラワーリメディを扱う人は
そのボトルの向こうがわを見る必要があるといっています。
この言葉にとても同感します。
ものや、そのエネルギーにも語らいがあります。
私は、そうしたものと無意識、意識で、
「本質」に語りかけ語りかけられている気がします。
植物や、自然そのものとの語らい、
物や意識との語らい、
それは
この私自身との語らいでもあります。
* * *
さて、お話は上手くいったかですって?
それそれはは楽しいひとときでした。
上手くいったかなんて野暮な質問です(笑)
これは私とそれぞれの方と本質との語らい、
喜びを共にしただけです。
きょうは植物のエネルギーと手をむすびながらね。
by 係長 サン
わくわくしていました。
大好きなことをお話しできることは喜びです。
ただ、昨日からぼーっとしていました。
そんなおり、
部長がフラワーリメディを飲む?
といったので、リメディの必要はかんじないけれども
植物のエネルギーと手を結びその声を共に伝えよう言う気がしました。
なにか、自我で、これとこれが必要だ!という感じじゃない、
そんなムードを部長と私は感じていて、むしろ
植物のエナジーのほうから声をかけてくれた感じでした。
「それじゃ、ホリーとロックウオター(植物じゃない!?)と花のリメディを」
といったら。
「ホリーとワイルドローズとレッドチェストナット」になりました。
なんかそちらのほうがしっくり来ました。
バッチフラワーリメディはそれぞれレメディに意味がありますが、
意味でなく、
意志に近い形で今日は受け取ったので、
しっくりという感じでした。
本来、人の気持ちに対処する植物のエナジーでは無いのでしょう。
それぞれのリメディが持つ意味はどちらかというと関係ないみたいです。
少なくとも、ぼくにとっては。
バッチ博士がきっと大切にしたものは
対処ではなく、語らいから導かれる
本質そのもの。ぼくらにも
その声なき声にみみを澄ましてといっているようです。
だからバッチさんの轍はバッチさんがつくり
私の轍はそれをヒントに私がつくるのです。
パトリシア・デービスというアロマテラピストが
アロマや、フラワーリメディを扱う人は
そのボトルの向こうがわを見る必要があるといっています。
この言葉にとても同感します。
ものや、そのエネルギーにも語らいがあります。
私は、そうしたものと無意識、意識で、
「本質」に語りかけ語りかけられている気がします。
植物や、自然そのものとの語らい、
物や意識との語らい、
それは
この私自身との語らいでもあります。
* * *
さて、お話は上手くいったかですって?
それそれはは楽しいひとときでした。
上手くいったかなんて野暮な質問です(笑)
これは私とそれぞれの方と本質との語らい、
喜びを共にしただけです。
きょうは植物のエネルギーと手をむすびながらね。
by 係長 サン
by devik
| 2010-09-14 20:20
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